2009.05.31 Sunday
「メリー物語の新訳」は成功したか?
『消えた横浜娼婦たち』は、企画段階では『港のマリーの時代を巡って』というタイトルでした。
文字通り「港のマリー」などとよばれた港の女たちを切り口に、街を語る企画です。
それはすなわち「海運の時代」を振り返ることでした。
「日本で一番外国に近い町」といわれ、夜霧とマドロスとダルマ船が似合ったバタくさい場所。
港の話を抜きにして当時の横浜を描くことは出来ません。
映画「ヨコハマメリー」は素晴らしい作品ですが、不満に思う面もありました。そのひとつが「港」や「船」についてまったくといっていいほど触れていないことです。
大野慶人さんの語る、外国人男性とメリーさんの別れの場面だけが、唯一港の登場する場面でした。
絵として港が登場する場面はなかったと思います。
(もしかしたらあったかも知れませんが、記憶に残っていません。その程度の扱いでした)
仮にも「“港の”メリー」の話ですから、これは自分にとってマイナスポイントでした。
文字通り「港のマリー」などとよばれた港の女たちを切り口に、街を語る企画です。
それはすなわち「海運の時代」を振り返ることでした。
「日本で一番外国に近い町」といわれ、夜霧とマドロスとダルマ船が似合ったバタくさい場所。
港の話を抜きにして当時の横浜を描くことは出来ません。
映画「ヨコハマメリー」は素晴らしい作品ですが、不満に思う面もありました。そのひとつが「港」や「船」についてまったくといっていいほど触れていないことです。
大野慶人さんの語る、外国人男性とメリーさんの別れの場面だけが、唯一港の登場する場面でした。
絵として港が登場する場面はなかったと思います。
(もしかしたらあったかも知れませんが、記憶に残っていません。その程度の扱いでした)
仮にも「“港の”メリー」の話ですから、これは自分にとってマイナスポイントでした。
それからメリーさんが登場した歴史的な背景、すなわち「港の女たち」の系譜についてまったく触れられていないことも不満でした。
開港以来の「港の遊女」たちの系譜を抜きにして、メリーさんを語ることは出来ないはず。
メリーさんは彼女らの最後の一人なのですから。
(*もちろん終戦後の「パンパン」の影響も無視できませんが、横浜の物語として成立させるためには「波止場に立つ女」として捉えた方が奥行きが出ます)
以上のような点を踏まえて書いたのが、『消えた横浜娼婦たち』です。
メリーさんを孤高の存在ではなく、大勢いた「港の遊女のなかのひとり」として再定義するために、彼女を特別な存在にしておくことは、危険でした。
彼女の神秘のベールをずいぶん剥がさなければならなかったのです。
従ってメリーさんの本名も明かしました。
彼女の故郷の話も場所が特定できない程度ではありますが、かなりしました。
メリーさんの謎の一端を明かすと同時に、「メリケンお浜」「上海お六」「おっぱい小僧」「根岸家の唖娘」「港を舞台にした国際売春組織の話」など、キャラの立った娼婦たちのエピソードや町の噂を取り入れました。
はたして私が提示しようと試みた「メリー物語の新訳」は成功したのでしょうか?
開港以来の「港の遊女」たちの系譜を抜きにして、メリーさんを語ることは出来ないはず。
メリーさんは彼女らの最後の一人なのですから。
(*もちろん終戦後の「パンパン」の影響も無視できませんが、横浜の物語として成立させるためには「波止場に立つ女」として捉えた方が奥行きが出ます)
以上のような点を踏まえて書いたのが、『消えた横浜娼婦たち』です。
メリーさんを孤高の存在ではなく、大勢いた「港の遊女のなかのひとり」として再定義するために、彼女を特別な存在にしておくことは、危険でした。
彼女の神秘のベールをずいぶん剥がさなければならなかったのです。
従ってメリーさんの本名も明かしました。
彼女の故郷の話も場所が特定できない程度ではありますが、かなりしました。
メリーさんの謎の一端を明かすと同時に、「メリケンお浜」「上海お六」「おっぱい小僧」「根岸家の唖娘」「港を舞台にした国際売春組織の話」など、キャラの立った娼婦たちのエピソードや町の噂を取り入れました。
はたして私が提示しようと試みた「メリー物語の新訳」は成功したのでしょうか?
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