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「待つ女」の神話
それは町の噂。

「メリーさんは別れてしまったアメリカ人の将校を待ち続けるために、それと分かるように白装束の姿で街角に立ち続けているんだよ」。

その割にメリーさんにまつわるテキストには「待つ女」に関する考察が少ないと感じていた。

だからここで『白い弧影 ヨコハマメリー』で大幅に削ったテキストのオリジナル版を公開したい。
さすがにこれがこのまま本の中程に載ってしまうと「くどい」と感じるが、単体で読むとそうでもないのではないだろうか?
【「待つ女」の神話】

 海は世界をつなぐとともに、遮るものでもある。
 港は陸と海、ふたつの世界の端境である。
 陸の住人である我々は、海の向こうの様子を想像するより他になかった。
 
 プッチーニのオペラで有名な『蝶々夫人』(一九〇四年)の例を引くまでもなく、「待つ女」の物語は港についてまわるものだ。ひたすら海を眺めながら、今日こそは彼の船が着くだろうかと心待ちにする。
 
 メリーさんは外国に帰ってしまった恋人を待ち続けているんだよ。
 人々はそう言ってきた。
 この純愛物語こそがメリーさんの神話を支えた大きな要素のひとつだった。
 メリーさんが愛されたのは、敗戦で廃墟と化した日本の復興時代への郷愁のようなもの、辛い境遇にあっても気位高く生き抜いたこと、そしてこの「待つ女」の物語があったからこそだと思う。
 
「待つ女の物語」はありふれたモチーフだ。古今東西それこそいくらでも転がっている。メリーさんだけが特別なわけではない。ありきたりだからこそ受け入れられたのだ。なにか個人的で特別な事情ではなく、普遍的な物語だからこそ良かったのだ。
 メリーさんの待つには「ふたつの待つ」がある。

 ・娼婦として毎日客を待つ
 ・別れた将校が現れるまで何十年も待つ
 
 娼婦は、はしたない姿で客の期待に応える仕事だ。赤の他人の前で服を脱いだり触らせたりする。しかし本当に恥ずかしいのは、路上で客を引く行為の方かも知れない。肌を露わにすることよりも、却って後めたい行為かもしれないのだ。
 
 道ゆく人々に見られながら、彼女は夜の客と別れた恋人を待ちつづける。どちらも同じ「待つ」ことでありながら、なんという隔たりだろう。
 彼女はひたすら立ち続け齢を重ねていく。
 
 「ただ待つ」というのは、携帯やネットでつながりつづけるのが当たり前になった私たちには遠くなってしまった感覚だ。この「待ち続ける」という点において、彼女は既に神話の粋に達している。
 
 待つ女はいつも孤独である。孤高を貫いていたメリーさんは待ち続けることで、より一層孤独感を深めてきた。ベケットの『ゴドーを待ちながら』(一九五二年)のようにいっしょに待ってくれる相方はいない。歌の中のメリーさんは永久機関のように決して終わりのない待機をつづける。それこそ地球を支えつづけるアトラスの伝説のように。まるで永遠の罰であるかのように。彼女の人生は待つことだけに費やされてしまった。
 
 もちろん娼婦としての日常を続けながらではあるが、横浜から離れずにいる。客がつかまるまで何時間でも待つ。彼が戻ってくるまで何日でも待つ。何度同じ季節が回ってきても、同じことをつづけるあまりにも単純化された人生。
 
 例えば米軍経由で本国に問い合わせるとか、彼の同僚に連絡をとってみるとか、あるいは探偵に依頼するとか。そういった現実的な方策はとられたのだろうか。
 そもそも本当に将校を待っていたのか。
 いや、それは考えないのが黙契だ。
 
 待ち続けるメリーさんの物語は寓話性が強く、リアリティーは薄い。そこにあるのは真実味ではなく、見た人をとりあえず納得させる説明だ。現にメリーさんが街角に立っている。その事実だけがこの空想上のエピソードにリアリティを与えている。どこかで聞いたような話をつなぎ合わせているにすぎないが、メリーさんの生身の身体が、その存在が、異様な物語を保証している。この物語があるからこそ、彼女は長い間伝説として噂の的だったのだ。
 
 しかし時間は残酷だ。刻まれた皺、深く曲がった背中。いったい彼女はどれだけの年月を無為に過ごしてきたのか。もし愛し合った将校が戻ってきたとしても、罪悪感を感じて名乗り出ることが出来ないかもしれない。果たして彼はかつての恋人に声をかけることができるだろうか。
 仮にもし将校が現れたとしても、年老いて白内障になった彼女にはもう分からなかっただろう。グロテスクな話だ。それこそエロ・グロ・ナンセンスの時代に『新青年』あたりの雑誌に掲載されてもおかしくない物語である。
 
 太平洋戦争が終わったとき、戦地から夫や息子の帰国を待つ女たちが大勢いた。その記憶がまだ生々しかった昭和のある時期までは、「待つ女」であるメリーさんの物語は現代とはまったく異なる生々しさで以て受け入れられたにちがいない。しかし高度経済成長期以降はちがう形で捉えられてきたように思う。すなわち狂女の物語だ。
 
 三島由紀夫の戯曲『班女』は能の「班女」を焼き直した作品である。主人公の女は男を待ちつづけて何年にもなる。ある日男が迎えにくるが、彼女の目には他人のように映る。男の必死のアピールに耳を貸さず、女はひたすら待ちつづける。
 
 あるいはテキサス出身の作家クレイ・レイノルズの風変わりなサスペンス『消えた娘』(土屋政雄訳  新潮文庫 一九八九年)。大金持ちだが女たらしの夫との別居を実現するため、一八歳の一人娘を連れた母親は北西に向かう。ところが目抜き通りを二本の道がつらぬいているだけの小さな町の手前で、高級車が故障。車の修理を待つ間、娘はアイスクリームを買いに行くと言って広場の向かいの店に入っていった。そして母親はひたすら娘を待ちつづける。五分、一〇分、一時間、一日、一週間……。そして彼女は老婆になるまで三十年待ちつづけた。街の人々は彼女を狂女だと噂している。もう娘が現れないだろうことは分かっている。それでも彼女はいつもの広場で待ちつづけるのだ。
 
 いったい全体人はどれほどの間、待っていられるものなのか。どれほど待てば諦められるのか。
 
 太宰治の短編『待つ』。省線の小さい駅のベンチで、少女は自問しながら待ち続ける。しかし自分でも何を待っているのか分からない。はじめは人を待っているものと思っていたが、違うのかも知れない。もはや何を待っているのか目的すら分からないまま、人波のなか、たった一人で待ちつづける少女。
 
 ことここに至っては、もはや待つという行為に結果が伴うとは思えない。待つこと自体が自分探しの手段にすり替わってしまっている。そこにいること自体が目的化しているような、不気味ささえ帯びている。それを人々は狂気と呼ぶ。
 なにひとつ状況が変わらない不動のドラマでありながら、私たちの心はじわじわと蝕まれる。待つという行為は怖ろしい。そしてまた恋も怖ろしいものである。
 
 初恋は実らないから美しく、約束は守られないからこそ心に残るのかもしれない。
 昔の人は一生に一度か二度しか恋をしなかった。だからこそ生き別れたり、死に別れたりしても、いつまでも相手を思い続けることが出来たのだ。人を待ち続けることは、信じ続けるということ。祈りにも似た強い思いが、女を頑張らせてしまう。
 
 待っている間は幸福である。オペラ『蝶々夫人』の第二幕で歌われるアリア「ある晴れた日に」のなかで、蝶々夫人は「彼が帰ってきても迎えには行かない。近くの岬で待つ。そして彼がやって来たら隠れて困らせるのだ」と空想の世界で遊んでいる。待つことは必ずしも辛いことではない。果てがないほど膨大な時のなかで、女たちは幸せな夢を育む。
 
 待ち人が現れてしまったら、ファンタジーは終わりを告げる。女は現実を生きなければならない。
 
 恋愛では理想の恋人だった男も、家庭を築いたらつまらない俗物になるかもしれない。暴君に豹変するかも知れない。こんな男に期待していたのかと後悔するかもしれない。「待つ女」の物語は、おそらく二度と会うことがないからこそ純化されるのだ。
 
 待ち続ける女は幸福である。マルグリット・デュラスの『かくも長き不在』(一九六一年)のなかで、女は待ち続けた夫にそっくりな男に出会う。男は記憶喪失の浮浪者だった。彼女はこの男を夫だと信じ込み、彼の記憶が戻るその日まで辛抱強く待ちつづける。
 
 もし相手との縁に恵まれなかったのであれば、映画『シェルブールの雨傘』や『ひまわり』のように別々の人生を歩めば、ささやかな幸福が待っていたかも知れない。その可能性を自ら放棄するということは、自己破壊にいたる地獄の階段にもなり得る。
 
 三島由紀夫の『サド公爵夫人』(一九六五年)は公爵夫人のルネが、夫であるサド公爵の出獄を二十年間待ち続ける物語である。クライマックスでついに夫が城に帰ってくるが、その姿はみすぼらしく老いさらばえていた。ルネは城門を閉ざすように命じる。待ち続けた先に幸せはなかった。
 
 待ち人との再会は不幸も呼び込む。ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーが主演した『哀愁』(一九四〇年)は第一次世界大戦下のロンドンが舞台だ。空襲警報が鳴り響く状況下で出会った将校と踊り子。ふたりは一目惚れの恋に落ち、翌日には結婚の約束まで交わす。ところが男は突然の招集により戦地へ。女はけなげに彼の帰りを待つが、そこに男の戦死の知らせが届く。バレエ団を解雇された女は娼婦に転落。ある日いつものように客を探しに出かけると、なんと戦死したはずの男の姿があった。
 男はふたたび結婚を決意し女を故郷に連れ帰るが、女は穢れてしまった自分を恥じ、ロンドンへ帰る。そして彼と出会った橋で自殺する。
 
 この映画の日本公開は一九四九年。不朽の名作なのでメリーさんも観たかもしれない。ヒロインの境遇と自分とを重ね合わせることもしただろうか。
 しかしメリーさんは死ななかった。ひたすら立ち続けた。
 
 その心境は、田舎町で現れるはずのない『消えた娘』を待つ母親のようだったのかもしれない。横浜にやって来たのはささいな偶然だった。いつまでもここにいるはずではなかった。しかし待ち続けるうちに、私の心は変わった。ここにいること自体が幸せだということに気づいてしまった。私をここに待たせた彼に言いたい。ありがとう。

横濱 | comments(0) | trackbacks(0)
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