黄金町と土方巽
寺山修司の「天井桟敷」や唐十郎の「状況劇場」が世の目耳を集めていた1960年代。安保闘争やベトナム戦争反対など、世は政治の季節であった。そんな時代の中、舞踊の世界でまったく新しい表現が誕生した。「舞踏(暗黒舞踏)」である。



山海塾「産土(うぶすな)」(15e BIENNALE DE LA DANSE ウェブサイトより)

「山海塾」「大駱駝艦」などの活躍のお陰で、知っている人は知っている、という程度の知名度はあるはずだ。とくに横浜の場合、「舞踏の母」と呼ばれた大野一雄が住んでいた影響で、毎年「大野一雄フェスティバル」が開催されるなど、関心さえあればいくらでも本物に触れる機会がある。

しかしこのジャンルの創始者である土方巽( 「舞踏の父」と呼ばれる) が、麻薬銀座時代の黄金町で暮らしていたことは殆ど知られていない。

土方が住んでいたのは正確には「チョンの間」が密集している初黄日ノ出町界隈ではなく、バス通りを渡った赤英町であった。住所は横浜市中区赤門町1-12 赤門荘で、当時まだ籍の入っていなかった元藤子とともに二階で暮らしていた。彼らが暮らしていたのは1960年から翌年までのわずか一年程度と短いのだが、興味深い事実であることに変わりはない。当時はこの黄金町の家から、当時反町に住んでいた大野一雄の家(終の棲家は保土ヶ谷区の上星川だった)まで遊びに行っていたようだ。

夫妻は当時極貧で、黄金町に来るまでは日比谷公園で野宿をしていたらしい(阿佐ヶ谷に部屋を借りてはいたのだが、訳あって荷物を置いたまま出奔していたのだ)。その様子を見兼ねた元藤の母が土方にお金を渡し、その翌日探してきた部屋が黄金町の住まいだった、という。

以下、その当時の様子を元藤子の著書である「土方巽とともに」(筑摩書房 1990年)から転載したい。
<品川駅から京浜急行に乗って横浜を過ぎ、二つ三つ行ったところに黄金町という、当時は急行も止まらない小さな駅があった。この駅を降りると小さなドブ川が流れ、昼でも暗いその両側には、黒いコールタール塗りのトタン屋根の庇が傾いた平屋建ての小屋が並んでいた。ドブ川は異臭を放ち、トタンの家々はヒロポンの魔窟のようだった。小屋の前には、ネグリジェ姿の女たちや胴巻き姿のお兄さんが立っていた。その前をこわごわ通って商店街に入ると風呂屋がある。その二、三軒さきが豆腐屋で、私たちの新しい大家さんであった。素晴らしい星空を夜ごと眺めていた野外の蜜月から、土方が次の仕事をするためにと探してきたのがここだった。私たちが愛情を育んだ住居でもある。横浜市中区赤門町一ノ一二赤門荘、だ。

木造二階建てのアパートの階段をのぼった突き当たり六畳間が、私たちの部屋だった。野外の捨てがたい生活をなつかしみながらも、これから二人三脚で歩いて行く、舞踊への険しい道のりのはるけき彼方へと思いは及ぶ。私は、トラックで運んだおびただしい本を書棚に収め、細江英公撮影による、晴海埠頭での黒パンツの土方の写真パネルを壁に飾り始めていた。土方は河原温の「浴室」シリーズや、外食券と引きかえに手に入れた田中吟の男と女の絵の荷ほどきを始めた。私は次の作品で「浴室」をやることにした。土方は「80 EXPERIENCE の会」の構想を熱っぽく話した。この頃、三田文学から金森馨の紹介で座談会と原稿の依頼が初めて土方のところへきていた。土方は「俺、作家になろうか、舞踊家でいようかなあ」などとこの夜話した。語り出すと、私たちの夢はいつ果てるともなく続いた。

夜がしらじらと明けてきた時、私たちは周囲の異様な雰囲気に気がついた。引越しの時は静かだったこのアパートは、暁方になると、誘蛾灯のように明りが点り、さんざめくのだった。このアパートは男色の人と夜の女が住人だったのである。そして両隣ともお客を連れて帰ってきたというわけだった。土方は、ジュネのパリの宿にそっくりではないかと喜んだ。私は気味悪く、夜は一人でいるのは嫌だといって初めて勘ねてみせた。隣りの部屋で啜り泣きが始まった。啜り泣きはしばらく続き、やがて静かになって、私たちの長い一日も終わった。私たちはこれから一年ほどをここで過ごすことになったのだった。

翌日から私たちは反町の大野一雄宅や稽古場に通い、「650 EXPERIENCE の会」の準備に没頭し、その一方で、舞踊会の資金づくりのために働くことを決心した。横浜の夜は大変賑やかで、クラブなどは二十四時間営業していた。近くに「ナイト・アンド・デイ」「クリフサイド」「ブルースカイ」などのクラブがあったので、まずはそこで踊ることにした。二人ともジャズは得意であった。ことに土方は、以前にダン・ヤダ・ダンサーズの一員として「紅馬車」などで踊っていたこともあり、「ジャズ娘誕生」という映画で江利チエミとテーブルの上で踊ったんだよ、などと自慢するほどだった。

夕方になると隣の風呂屋に二人揃って行き、土方が出る時「オーイ、出るぞう」と女湯に向かってどなる。それが合図で私も出ていく。その風呂屋は天井が高く、よくエコーした。それにちなんで私たち二人のダンス・チームは「ブルーエコーズ」と命名された。「ブルーエコーズ」は「マラゲーニア」「夕陽に赤い帆」「ピーナツベンダー」、他に外人向けに「連獅子」などのレパートリーを持って一日四、五回のステージを踊り歩いた。フジテレビのミルペットとミルチャーという清涼飲料水のコマーシャルにも二人で踊りで出た。クラブで踊ることは「650 EXPERIENCE の会」の資金づくりが主たる目的だったが、昼間はこれらのクラブが空いているので、その大きなステージを使わせてもらえるという利点もあった。照明、音楽も充分整っていて一石二鳥だった。>



昭和35年版「西区明細地図」より
△筏されたのが、「赤門荘」と思しき物件

「土方巽とともに」のなかでは当時の住所は「赤門町1-12」となっているが、昭和34年度「中区明細地図」には該当する物件はなかった。
逆に昭和35年の「西区明細地図」によると、「西区赤門町2-34(*)」に名称不明なアパートが記載されている(地図上で△筏されている物件)。このアパートは「土方巽とともに」の記述の通り、「赤門湯(奥野政夫)」という銭湯の隣である。また「二、三軒さきが豆腐屋」とあるが、地図によると二軒先に「加登屋 豆腐屋(石渡)」という豆腐店が記載されている。アパートの周囲は本に書かれたとおりの配置になっている。確認はしていないのだが、住所変更が行われたのか、あるいは元藤氏の記憶違いではないだろうか。

「西区明細地図」によれば、謎のアパートの隣は「野村さん」という方が経営する中華屋である(もし土方の住んでいた物件が上記引用の通り風呂屋のとなりで、なおかつ中華料理屋の隣だったとしたら、「西区赤門町2-34」できまりである)。

なお赤門荘は昭和40年代半ば(正確には45〜47年の間だと思われる)に野村さんという方の一戸建て住宅に建て変わっている(現在は野村さんではなく、別の方が住んでいる)。この周辺一帯は人の入れ替わりがひじょうに激しく、昔のことを知っている方は殆ど残っていないようだ。



2014年版「ゼンリン住宅地図」より



現在の「赤門荘」跡。右側の黒い軽自動車が止まっているお宅が該当地のはず。

しかし解せないのは黄金町エリアマネージメントセンターや黄金町バザール事務局である。
横浜は大野一雄と土方巽という舞踏の創始者が両方とも居住した世界唯一の都市だ。その片割れである「舞踏の父」ゆかりの地であるのだから、本来であれば「アートの町」を目指している黄金町の方で何かやるべきだと思う。
実際私は事務局長の山野氏にこの話をしたことがあるのだが、「黄金町というのは、掘っていくと色々な話が出てくるところですね」と言われただけでまともに取り合って貰えなかった。

地元に所縁のあるアーチストを大切にしない「アートの町」というこの姿勢。以前柳美里の「ゴールドラッシュ」が黙殺されている話を書いたが、黄金町エリアマネージメントセンターの活動には偏見や自己都合が多々含まれているようで、感心できない。もっと広い視野で活動して貰いたいと切に願う次第だ。

*このアパートの住所だが、土方が住んでいた昭和30年代当時は「西区赤門町2-34」という表記なのだが、2014年現在の「ゼンリン住宅地図」によると「西区赤門町2-33-10」という表記になっている。
なお赤門町は1丁目が中区、2丁目が西区に属するという変則的な扱いになっている。

*「kj映画談義」というブログの<映画「朱霊たち」の前に(part.2) (176) >という2007年4月30日付けのエントリーに「彼の住むアパートは赤門通りの赤門荘といった。私は後に、そのアパートを探し出そうと土方さんの娘さんと探したことがあって、たぶんここだろうというところを突き止めた」という記述がある。もし機会があれば、書き手である kj さんの意見を拝聴したいものである。

2014年10月6日追記
赤門荘の跡地の特定に成功。このエントリーに書いた「西区赤門町2-34」は赤門荘の所在地ではなかった。詳細は10月6日のエントリーを参照して欲しい。

関連する過去のエントリー)

黄金町と柳美里と
横濱 | comments(2) | trackbacks(0)
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黄金町時代の土方巽の所在地について、慶応大学土方巽アーカイブの森下さんに問い合わせたところ、以下のような回答が寄せられた。

<土方と元藤の2人が居住していたアパートに所在や名称については、まずは本人である元藤子の著書によっています。

元藤の著書は、間違いが散見されるので、注意が必要ですが、「中区赤門町1−12 赤門荘」という住所・地番・アパート名は間違いがないと思われます。
というのも、当時、土方宛のはがきがあり、この住所・地番・アパートで届いているからです。

もちろん、当時のアパートは存在していないので、この住所でアパートが建てられていた場所を正確に確定することはむずかしいかと思います。>

しかし横浜市が当時発酵していた住宅地図で見る限り、「中区赤門町1−12」という番地は存在していないのだ。

完全な八方ふさがりになってしまった。
Posted by 檀原 | 2014/09/12 7:50 PM

土方巽と親交が深く、土方の葬儀委員長をつとめた澁澤龍彦も黄金町に足を踏み入れたことがあるようだ。

「余談めくが、二十年近く前に物故した特異な宗教詩人、鷲巣繁男に、これも今はない澁澤龍彦と一緒に話を聞いたことがある。たまたま黄金町の話になって、澁澤氏が、不思議な町だとの印象を口にすると、横浜に生まれ育った鷲巣氏が、それは当然だ、あそこは昨日今日の新出来の盛り場とは違う、古くからの由緒のある魔界なのだ、といわれた。
魔界などというと、現実にその土地に住んでいる人々には失礼なことになりそうである。しかしとにかく、詩人にそうした幻想を育ませるような独特な感触を、通り過ぎる人間が受けるということはあるので、『ゴールドラッシュ』もその感触を作品の中に定着させているといっていいのだと思われる。」
(2001年3月 文芸評論家・故川村二郎氏による 柳美里・著 ゴールドラッシュの文庫版解説より)

澁澤は20代の終盤に三島由紀夫の紹介で土方巽と出会い、その舞台表現に強い衝撃を受けた、という。

もしかしたら土方の家に澁澤が遊びにおとずれ、連れだって歩くようなこともあったかも知れない。
(余談であるが土方の作品には「バラ色ダンス――澁澤さんの家の方へ」(1965年)という作品がある)

それから鷲巣繁男についてのメモ書きを添えておく。
1915年生、1982年7月27日没。日本の詩人、文学研究者。鷲巢 繁男とも。神奈川県横浜市生まれ。旧制横浜市立横浜商業学校卒業。在野にあってヘブライ語、ギリシア語を含む多くの言語に通じ教養を深め、長編の叙情神秘詩、評論集を多数発表した。
Posted by 檀原 | 2014/09/15 10:13 PM

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